2008/4/15
art drops インタビュー 2008 vol.1 テーマ:「心が変容する」 金子きよ子
茂木綾子さん/写真家・映像作家 ―前編―
(C)Ayako Mogi
説明できないものを、説明するんじゃないやり方で表現する
一本のマッチをする一瞬を捉えた写真。
切り取られた時間。聞こえるはずのない音。息が止まるような感覚に、静かに心を揺り動かされる。写真家で映像作家でもある茂木綾子さんの作品は、“孤絶”という言葉が似合う。
最新作では、西表島を舞台に、『植物染織』と『色』をテーマにした映画『島の色 静かな声』を制作している。明るい南国の島を舞台にどのような思いで映画を制作したのか、お話を伺った。
■写真によって潜在意識が浮かび上がる
茂木綾子さんは1969年、北海道で生まれる。
3歳のとき一家で東京に引っ越した。幼い頃は、外でばかり遊ぶ男の子っぽい子供だった。
デザインに興味があったため、武蔵野美術短期大学グラフィック科に入学した。
入学して間もない頃、写真の授業があった。
「この授業の最初の課題は、身近な人を撮ってくるというものでした。両親とかボーイフレンドとかね。両親の写真は良いんだけど、ボーイフレンドの写真はあまり良くない。先生に聞くと『みんなそうなんだ』と。被写体との距離が近いと写真も良いけど、遠いとあまり良くないんです」。
写真を撮るという行為によって、自分が相手に感じている距離感が出るということに面白みを感じた。
次の課題では街に出て知らない人に声をかけ、写真を撮影した。撮ってきた写真は、被写体との距離があるにもかかわらず、また褒められた。
「内気な人だとなかなか真正面から撮れなかったり、ピントがぶれるとかあるんじゃないですかね。知らない人でもドンと正面から見るという自分自身の人の見方とか、被写体との関係性が写真に出るのかもしれないということに気づきました」。
最後の課題では一冊の写真集をつくった。両親に題材を相談したところ、当時両親が勤務していた精神病院を薦められた。
「『そんなことできるの?』と聞いたら、『大丈夫。みんな若い女の子が来て写真を撮ってくれたら喜ぶわよ』と」。
撮影に訪れた精神病院では、患者たちが嬉しそうに順番に並んで被写体になってくれた。
「精神科の患者さんではあるんだけど、すごく違うという感じがしなくて素直に撮っていたら、先生から、『距離をあまり感じない』『見る目が優しい』と褒められました」。
写真は向いているのかもしれないと思った。何より楽しかった。その後、受験し直し、東京芸術大学デザイン科に入学。写真の授業をきっかけに、写真を再開した。
「もともと私はコンセプトを練り上げてから撮影するというタイプではないんです。当時は無意識に、パっと思ったから、という感じで感覚的に撮る。気がつくとある種の写真が多い。なんでかな、と分析すると自分が分かる。写真によって自分では気づかない潜在意識みたいなものや被写体の真実まで出てきちゃうということも面白かったんです」。
被写体との距離感や関係性、自分自身の人に対する見方のみならず、自分でも気づかない無意識下にあるものなど目に見えない何かが写真によって出てくるということが面白かった。
■写真と並行して映像作品を
芸大2年の頃、『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』という映像作品に出会う。
作曲家であり、即興演奏家であるフレッド・フリスを追って、ニコラ・ハンベルト、ヴェルナー・ペンツェル2人からなる映像作家ユニット『シネノマド』が世界中を旅していく。いつしか被写体と撮影者は互いに影響を与え合い、『シネノマド』はフレッド・フリスの音楽世界のかけがえのない一部になっていく。作為の感じられないこの美しい作品に強い影響を受け、写真と並行して映像作品も撮るようになっていった
フレッド・フリス 映像作品『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』より
時期を同じくして、キャノン主催の写真公募展『写真新世紀』で荒木賞を受賞。賞金で初めて出かけた海外旅行に強い衝撃を受け、芸大を3年で中退した。
「ちょうど映像を撮り始めた時期だったというのも大きかったです。当時はまだビデオアートなんていうジャンルはなかったし、大学で映像を教えてくれる先生もいなかったんです。そんな時期に訪れたメキシコでは、街を歩いているだけで命の危険を感じました。これまで生きてきた社会では、この街で生き延びることすら何一つ教えてもらっていなかった。これ以上ここにいても学ぶものはないな、と」。
写真家として、友人のつてで紹介された撮影の仕事と、ビデオとカメラをかついで海外を放浪するという日々を2年間過ごした。
Fishmans LONG SEASON(CDジャケット)(C) Ayako Mogi
■ターニングポイント
2年後、撮りためた映像と写真で、ビデオ+写真集『in the couch』という作品をつくりあげた。
「『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』を見て映像を始めたときから、いつか自分の作品の後書きを『シネノマド』に書いてもらいたいと思っていたんです。そこで『シネノマド』の映像作家の一人でもあるヴェルナー・ペンツェルに連絡をとり、作品を送って後書きを依頼したところ、ファックスで短い詩のような後書きが送られてきたんです」。
お礼も兼ねて渡欧した茂木さんは、ヴェルナーと意気投合。これが後に夫となるヴェルナー・ペンツェルとの出会いである。
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