2007/10/15

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art drops 第7回 インタビュー  

10月:鼻=匂い、時代に敏感な感覚 アーティスト/井上尚子さん ―前編―

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井上尚子 「オレンジボックス」ワークショップにて、2005年、原美術館

「オレンジの匂いは、私にとって複雑な香り」

 

オレンジの匂いを用いて作品を制作する井上尚子さん。自身の作品制作のほか、匂いを用いたワークショップも頻繁に開催している。匂いの作品をつくり続ける理由は何なのか?また、なぜオレンジの匂いなのか?

その謎や井上さんの活動について迫ってみた。


■小学生の時に決めていた、美術への道

1974年、井上尚子さんは、父、母、姉を含む4人家族の次女として横浜に生まれる。幼いころ近所の男の子たちと野球や鬼ごっこを活発にしていた反面、室内で絵を描くのも大好きな子供であった。

また、子供向けのゴッホの画集を与え、美術館へも頻繁に連れて行ってくれた母親の存在も大きかったようだ。
「母からゴッホについての話を聞いていたこともあり、作品から切ない悲しみのようなものを感じていました。自分が影響された最初の作家ですね。また、小さい時から美術作家という職業があることを知っていたんで、小学生の時には、既に美術の道へ進もうと決めていましたね。受験の時、母に『英語6時間勉強するのと絵を6時間描くのどっちが良い?』と聞かれたこともあり、迷わず絵を選びました(笑)」。

こうして、井上さんは高校卒業後、女子美術大学芸術学部絵画科に進学する。

だが、そこで“壁”にぶつかることになった。

 

■海外旅行によって訪れた、第一のターニングポイント

それは、大学1,2年生の時、「自分は油絵の道で食べていけない」と薄々思うようになったことである。また、“油絵”という表現に対して「自分のやりたい表現と違う」とも感じ初めていた。

そんな井上さんが20歳の時、転機が訪れる。

「ヨーロッパ旅行をしている最中、パリのエコール・デ・ボザール(国立の美術大学)の卒業制作展をみかけたんです。そこで、メディアアートやインスタレーションを観て、『こんな表現でもいいんだ!』と衝撃を受けました。帰国後、早速、インスタレーションの制作にとりかかりましたよ」。

 

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■大切な人たちとの貴重な出会い

「高校から大学にかけ、影響を受けた作品や作家さんは増えました。最も影響を受けた作家さんの一人、森村泰晶さんは、“自分をみつめること”を教えてくださった方です。高校3年生の時、横浜美術館で森村さんの作品を初めて拝見して以来、ずっと気になっていました。ちょうど、自分が悩んでいた大学1年生の時、銀座の資生堂ギャラリーで開催された個展でトークショーを行なうと聞きつけ、会いに行きました」。
先ほどの「油絵は違うかも」と悩んでいた頃、森村さんと出会う。そして、“自分をみつめること”で新たな表現を見つけることを知った。

また、作家の仕事やギャラリー、美術界の仕事を知りたいとも思っていたので、当時は吉祥寺にあった双ギャラリーで森村さんの5年間プロジェクトがあると聞いた時、「どうしてもお手伝いしたい」と思った。そして、ギャラリーの人に顔を覚えてもらうために、毎週、横浜から吉祥寺まで足しげく通い、2、3年経った頃、「手伝わせて下さい!」とお願いして、森村さんのお仕事の裏側に携わらせてもらったと言う。

彫刻家の村岡三郎さんの作品やコンセプトに惚れ込み、師事を仰ぎたいと、アトリエのある滋賀へ「手伝わせてください」と乗り込んだこともある。
「遊びに来なさいとは気軽にいったものの、まさか本当に滋賀までくるとは思いませんよね。村岡さん、びっくりしていましたよ(笑)」。
しかし、井上さんを追い返すでもなく、食事と宿を提供して1週間ほど手伝わせてくれた。井上さんは、そんな村岡さんに非常に感動したと言う。そして、多くのことを学んだ。
「中でも、人を尊重する大切さを学びました。村岡さんは、スタッフ一人一人に気を配り制作に望んでいた事です。また、私が作家として初めて開いた個展にもわざわざ来てくださいました。大師匠が来てくれるとは夢のようでしたよ!」

また、作家宮島達夫さんからも大きな影響を受けた。
「“柿の木プロジェクト”の手伝いをした時、宮島さんは、手伝ったスタッフ全員の名前を制作者として発表されたんです。そういった経験が今までなかったんで、感動しました」。

尊敬する作家たちとの貴重な出会いを通じ、井上さんの“人を思いやる優しい気持ち”は、より一層強くなっていった。

勿論、これらの出来事は現在の作品や活動に大きく影響している。しかし、井上さんの代表作でもある、オレンジの匂いがする作品には、もっと個人的な思い出が強く影響していた。

 

■オレンジの匂いが導く複雑な記憶
2007年の夏、父方の祖母が他界した。実は、この祖母と父親との関係こそ、オレンジの匂いがする作品に大きな影響を与えている。

「どの家庭にも独特の習慣とかあると思うんですが、うちは、父親が毎日、祖母の健康のためにオレンジ(みかん)を剥く、というものがありました」。
父親の祖母への固執した愛情は、いわゆる、極度のマザー・コンプレックス。 オレンジのこと以外にも、“祖母と父親だけの世界”で唖然とするような出来事はたくさんあった。

「子が親を思う気持という意味で多めに見るならば、“親孝行”と頑張って理解もできるのですがね。けど、やっぱり自分の家族を振り返る事や、家族を愛することを分かって欲しかったです」。
父への悲しみや寂しさは井上さんの心に大きな影を落とした。
しかし、大人になるにつれ、それらを心身に飲込み消化して、楽しみや喜びに変える“術”を身につけるようなったと言う。

「作品化できると思ったのも、この経験があるからこそなんです!」
作家として活躍する今の心境は、大変晴れやかなものであった。

「オレンジの匂いって食欲を誘ったり、リラックス効果があるんですよ。しかし、私は“嫉妬”の感情も湧いてきますね。オレンジはいつも父親の手にいつも包まれていたので。だから、オレンジの匂いは、私にとって複雑な香りなのです」。
無意識のところで起こる感覚と感情のもつれ。それは、井上さんの記憶にしっかり刻みこまれている。
「記憶回想装置」として、オレンジの匂いがする作品を作成したのは、自身のこのような経験がきっかけであった。

「しかし、私の個人的な思い出は聞かれない限り話しません。作品は手から離れた瞬間、観てくださった方が自由に感じてくだされば良い、と思っているので。そもそも、私の作品は、空間に設置されたままでは、ただの装置にしか過ぎませんので。人が関わって、初めて、完成するんですよ」。
もう少し付け加えると、井上さんの作品は、「観客が作品を鑑賞し、その後、時間が経って作品のことを思い出すまで」だと言う。

 

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井上尚子、柴山拓郎(sound design)「Get a smell at Oranges」2002年 インスタレーション/NTT Inter Communication Center [ICC](新宿初台)で開催された「NEW MEDIA NEW FACE'02」より、撮影:高山幸三
井上さんが初めて作成した“オレンジの匂い”がするインスタレーション作品。観客は、体を横にして上半身だけを9m×9m×7m(高さ)のボックスに入れ、オレンジの匂いを嗅ぎながオレンジが潰される映像を観る。ボックスの内部全壁にはオレンジ内側の白質皮をイメージして綿が張り込まれている。まるで、房に抱擁されたオレンジになった気分。暖感とオレンジの匂いで安眠と精神的鎮静作用を体験し、横たわる心地よさに溺れてく。しかし、映像はオレンジが潰されるという心地よさとはかけ離れたもの。どの記憶が一番残るかは観客次第。また、作品を経験したことを憶えて、ようやくこちらの作品を体験したと言える。

 

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井上尚子、柴山拓郎(sound design)「Be comfortable a corner in Orange juice.」2004年 インスタレーション/ Spiralワコールアートセンターにて開催された「オレンヂ羊の夏休み[Art-life vol.3] 井上信太+井上尚子展より、撮影:市川勝弘
井上尚子さんのオレンジの粉末ジュースをモチーフにした、匂い、映像、音、光を体験できる作品と、井上信太さんの森、草原や観光名所に羊のパネルを配置して、その風景を撮影した写真や映像がコラボレーション展。左写真は井上さんの作品部分。

 

>>井上尚子さんインタビュー の後編はこちら

 

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