2008/2/22

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art drops インタビュー 2008 vol.4  テーマ:「現実と虚構の狭間」 ドイケイコ

釣崎清隆さん/ドキュメンタリー監督 ―後編―

■ コロンビアでの衝撃と出会い

絵に描いたような暗黒街、コロンビアのボゴタ旧市街での衝撃は釣崎さんの制作意欲を掻き立てた。
「すべてのイメージが僕の想像をはるかに超えるものだった」。
そして、釣崎さんが映画を作るスタイルにも大きく影響を与える。
「自分の中でドキュメンタリーに対する考え方が決定的に変わった」。

また、いくつかの貴重な出会いも訪れる。
「アルバロ・フェルナンデス(※3)という写真家に出会った。初めて会ったときはスペイン語なんてできなかったけど、お互い撮影した写真を見せ合えば、それだけで言葉はいらなかった」。

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アルバロ・フェルナンデス氏(左) Copyright (C) 2004 Tsurisaki Kiyotaka All Rights Reserved.


そして、コロンビアでの何よりの出会いは、釣崎さんの映画『死化粧師オロスコ』の主人公でもあるフロイラン・オロスコ氏。
「オロスコはアルバロに死体の“情報屋”として紹介してもらったのが最初の出会いだった」。
取っ付きにくく陰があるオロスコ氏だが、交わっていくうちに人間性の奥深さにひかれ親しくなっていたという。
「そうなるまでに時間はかからなかった。気付いたらオロスコを撮っていたね」。

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映画 『化粧師オロスコ』 監督・撮影:釣崎清隆 1999年−2005年

コロンビアで死体のエンバーミング作業をしているフロイラン・オロスコ氏を中心に撮影されたドキュメンタリー映画。オロスコ氏は、死体の腹を切って内蔵を一旦とりだして洗浄し、再度腹を縫い合わせる作業を日々淡々と行う。殺伐としたコロンビアの風景とともに、どこか陰のあるオロスコ氏の半生を紹介。

 

 

 

 

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フロイラン・オロスコ氏(左) Copyright (C) 2004 Tsurisaki Kiyotaka All Rights Reserved.

 

 

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映画 『JUNK FILMS』 監督・撮影・編集:釣崎清隆 1995年−2007年


『死化粧師オロスコ』から2年後に発表されたドキュメンタリー映画。今回は、タイ、コロンビア、ロシア、パレスチナ、インド、日本で撮影された13の短編作品で、勿論、死体や死が中心となっている。
同作品に対して、釣崎さんは下記のように語っていた。
「『ジャンクフィルム』は死者と生者の宿命に焦点を当てる事で、人間存在の何たるかに 迫ろうと試みている。世界は個人が絶望するにはおこがましいほどの多様性に満ちている。 10年前の自分には、まずこのような作品は撮れなかったと思う」
http://www.uplink.co.jp/junkfilms/

 

 

■ 子供たちに観てもらいたい

以前、衝撃の強い自身の死体作品を「子供にも観てもらいたい」と著書に記載していたことを思い出し、理由について聞いてみた。
「自分は小さい時に影響を受けた映画を今の子が観られないのはいかにも残念。僕みたいなかた田舎育ちの者が幼いころにそういった作品に出会えるか出会えないかはとても大きいと思う」。
ただ、あまりにショッキングであるが故に、子供に観せたがらない親もたくさんいる。
「小さい時にあらゆる表現に同等に出会うべき。世界中、どんな僻地でも、誰もが同じ土俵で触れることができる芸術こそが映画で、それがまさに映画の素晴らしさで、僕はそれで人生を決めたんだ。だから、子供がきっかけとして出会う表現はなんであれ規制してはいけないと思う」。

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Copyright (C) 2004 Tsurisaki Kiyotaka All Rights Reserved.


あくまでも個人的な意見、と控えめに言いつつ、更に語った。
「そもそも“残酷”と呼ばれる表現に法的な規制などないのに、当然のように観るなとはどういうことだ、と思う。結局は、子供と一緒に観て動揺する親自身がそれを恐くて観れないだけであって、子供が恐がっているわけじゃない。自分がコントロールできないものを子供に見せたくないだけ。パソコンができない親たちが子供たちへのコンプレックスで国民の知る権利自体を規制するとか、クソ食らえだよ。これが僕と同じ映像体験を持っているはずの同世代だったりするから、がっかりだよ。日本は世界標準に比べて残酷、暴力の表現に寛容な国といわれるけど、その遺産としての日本文化が世界に今どれだけ開花しているか、知るべきだと思う」。

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■ 死体を撮る理由と今後について

さて、これまでの話から、釣崎さんは最初に認知していた“死体写真家”より“映画監督”としてのイメージの方が強いと感じられた。

「映画にとって“いかに死ぬか”は重要なテーマなので」。
死体を撮り続ける理由は、やはり映画のため。

「自分たちは純粋培養でどうしようもなく甘い世代だから、ただ絶望して潰れてしまうより自発的に突破口を切り開いていかないと何も変わらないという思いがあった。例えば、実際の死に触れないでホラー映画監督になるほど、僕は恥知らずじゃない」。

そして、死体を動画でなく写真で撮る理由は、
「単純に死体は動かないから、というメディアの選択なんだけど、今はそんなに杓子定規に考えてない」。

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撮影時の釣崎さん(左写真の一番右) Copyright (C) 2004 Tsurisaki Kiyotaka All Rights Reserved.


最後に、今後について聞いてみた。
「“死”は一生のテーマ。ドキュメンタリー映画も撮っていくだろう」。
しかし、何より気になるのは劇映画の制作について。
「もちろん撮るよ。ただ、これまで見てきた究極の現場での現実を超えるイマジネーション、今、自分が問われてる。押し潰されたら、“ただの”ジャーナリストとして殉死するしかない。同じ死ぬなら僕は芸術に殉じたいよ」。

現在、タイ、インド、コロンビア、メキシコ、ロシア、パレスチナの写真をもっている。釣崎さんは今後も世界中で死体を撮りつづけるだろうが、やはり、将来制作する劇映画、その中でも釣崎さんが撮るであろう“死の場面”を観ることが今から待ち遠しくて仕方ない。

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■ 結び

映画『死化粧師オロスコ』を観に行き、上映終了後、釣崎さんが登場してご自身の作品やオロスコ、表現の自由について語られました。その様子から絶対インタビューさせていただきたい、と強く思った記憶があります。
今回のインタビューの時、死体を撮ることを含めたすべての行動は「劇映画制作のため」だと知り、正直、驚きました。そして、一本気な映画監督としての生き方に大変感心させられることになりました。
死体単体だけでなく、世界の果てで究極の現実を目に焼き付けて来た釣崎さんだからこそ、究極の非現実世界、劇映画をつくることができる気がしてなりません。
早くその日が来ることを、心から楽しみにしています。

 

※3 アルバロ・フェルナンデス:コロンビア人の写真家。南米の風土を反映したかのように、艶やかで美しくさえある屍体の写真を数多く撮る。1993年に発刊され話題になった死体写真集『SCENE』は、クレジットこそないが実質的に彼の写真集。

※4 『エメラルド・カウボーイ』: もともとは俳優を使った普通の伝記映画になるはずが、コロンビアの山中でロケーション撮影する過酷さと危険に、主演俳優も監督も逃げ出してしまい、アンドリュー・モリーナというまだ20代の映画監督と共同で、早田英志氏が製作総指揮・脚本・監督・主演を行いつくりあげた映画。話の内容は、エメラルドの産出量世界一のコロンビアに単身渡った日本人青年(早田氏)が、現地の採掘人から原石を数個ずつ買い上げるエスメラルデーロ仕事を振り出しに、原石の加工、輸出、鉱山の所有権まで持つ、コロンビア随一のエメラルド王になった実話である。

 

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釣崎 清隆(つりさき きよたか)

1966年富山県生まれ。慶応義塾大学文学部卒。高校時代に自主映画制作をはじめ、大学卒業後、AV監督を経て1994年からは写真家としても活動。ヒトの死体を被写体にタイ、コロンビア、ロシア、パレスチナ等、世界中の無法地帯、紛争地域を取材。1995年には池尻大橋NGギャラリーで初個展。一方、映像作品として1999年、コロンビアで制作に3年を費やした残酷ドキュメンタリー映画『死化粧師オロスコ』を完成、2000年に公開。2001年モントリオール映画祭、シネマ・オブ・トゥモローに選出される。2006年、フランスIMHO/DWW社からアンソロジーとなる写真集2冊『REVELATIONS』、『REQUIEM DE MORGUE』が出版された。2007年、2本目となるドキュメンタリー映画『ジャンクフィルム/釣崎清隆残酷短編集』を発表。第34回ロッテルダム国際映画祭、タイム&タイド部門に選出。

公式サイトはこちら

好きな言葉:根性

 

■ 釣崎清隆さん手書き一問一答

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text:ドイケイコ、edit&photo(釣崎さんのお顔写真):谷屋

 

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