2008/1/15
art drops 第10回 インタビュー
1月:口=伝える
有吉伸人さん(NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』チーフ・プロデューサー) ―前編―
人の心に残るのは、理屈ではない“ごつごつとした塊”のようなもの 2年前からNHKで放映されている情報・ドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』。毎回仕事に情熱を傾けるプロフェッショナルをゲストとしてスタジオに招き、その仕事振りや仕事における信念などをドキュメンタリー映像とインタビューで多角的に紹介する。ゲストの共通点はその分野のプロフェッショナルという点のみ。仕事に真剣に向き合う仕事人たちの生き様からは、時として、働くことを超え、生きることそのものについて考えさせられるような“深い何か”が伝わってくる。このような番組をどんな人がつくっているのだろうかと気になり番組制作を統括するチーフ・プロデューサーの有吉伸人さん(44)にお話を伺った。 |
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■映画監督になりたい
有吉伸人さんは、1963年山口県防府市に生まれる。
のどかで小さな町に育った少年は、漫画や映画に夢中になるうち、いつしか映画監督になりたいと夢みるようになっていった。
とはいっても映画館すら市内にわずかしかない街で、映画監督になりたくてもどうすればいいか分からず悶々とする日々だったという。
人生で一番影響を受けたのは、中学・高校時代の美術の先生。理屈めいたことは言わず、ただ生徒に絵を描かせているような一風変わった先生だった。授業の時間は、2人でひたすら映画について、夢中になって語り合った。
「他に映画の話ができるような人がいませんでしたからね。高校に行ったら、今度はその先生の旦那さんが美術の先生で、またひたすら映画の話をしていました(笑)」。
■人が喜ぶものをつくりたい
高校卒業後、1年浪人して京都の大学に入学した。
「相変わらず映画監督になりたかったんですが、入学してすぐの頃、たまたま演劇を見に行ったんです。“つかこうへい劇団の”の『熱海殺人事件』。これがすごく面白くて、すっかり演劇にはまってしまいました。それで、その日その公演にたまたまビラを配りにきていた、当時辰巳琢郎さんが代表をつとめていた“劇団そとばこまち”に入団しました。コメディ系の劇団だったので、一日中どうすれば受けるのか、どうすれば人が喜ぶのか、ということばっかり考えていましたね。だから、その頃から僕は、自分がつくりたいものをつくるというより、人が喜ぶものをつくりたかったんです。こういうとちょっとかっこよすぎますね(笑)。言い換えれば、人が喜ぶものが自分のつくりたいものだったんです」。
以降、舞台監督、演出など、主に裏方として4年間に30本近い公演を打つという演劇漬けの日々を送り、大学を卒業した。
■地方局で番組をつくりつづける日々
卒業後はNHKに入局。NHKでは最初の4、5年は地方局勤務になる。有吉さんの最初の勤務地は熊本放送局だった。
「当時の熊本放送局は、制作する番組数が多かった上、人手も足りなかったので、4年半ほどの間にディレクターとして30本近い番組をつくりました。
地方局の良いところは、トライ&エラーができるところ。とにかく、まずはやってみて、試してみて、どこを変えればよいのか考える、そういうことができました」。
しかし、なかなか思うような番組づくりができない。それは、それまで経験してきた演劇との違いが大きいことも影響していた。
「それまでやってきた演劇とテレビは、ある意味、正反対でした。演劇は近くに観客がいて、その反応を見ながらつくることができますが、テレビは視聴者の反応を間近で見ることができません。
また、それまでは、同じような世代の仲間と同じような嗜好を持ったお客さんに舞台をつくっていればよかったのですが、テレビでは年上のカメラマンや仕事として集まっているスタッフの中で、不特定多数の人に向かって番組をつくっていくんです。
自分のつくる番組が面白くなくて、どうすれば面白くなるんだろうと日々悩んでいましたね」。
ターニングポイントは一本のドキュメンタリー番組を制作したこと。ある老人の数奇な一生を辿ったこの作品は、周囲の評判もさることながら、自分自身、確かな手応えを感じた。
元はドラマ制作を希望していた有吉さんだが、この番組制作をきっかけにドキュメンタリー制作を希望するようになっていく。
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